座談会
『世界』の音訳を通してみえてくる読書バリアフリー実現への現状と課題
松井 進 千葉県立西部図書館
堀江達朗 社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会点字図書館
藤田晶子 全国音訳ボランティアネットワーク代表
大山美佐子 株式会社岩波書店『世界』編集部
上田 渉 株式会社オトバンク 代表取締役会長
岩波書店の月刊誌『世界』2022年11月号に「座談会 音で読む『世界』──視覚障害者と情報保障」という記事が掲載されています。アクセシブル・ブックスの一つである「録音図書」ができるまでの過程や、この作業に関わる方々のリアルが反映されています。読書バリアフリーにどう対応していいかわからないという出版者は多いと思いますが、この座談会には、そのヒントが詰まっていました。このノウハウは、音訳の世界だけでなく、点訳やTTS(Text to Speech:自動音声読み上げ)でも応用することができるでしょう。
ここでは、『世界』の音訳に関わる方々を中心に、現場でのご苦労や出版者に望むことなどを語っていただきました。
──『世界』の音訳版が実現するにあたって、松井さんの働きかけがあったという話ですが。
松井 2010年のことですが、当時、『週刊金曜日』の音訳版を作り、原本と同一価格で販売していたテープ版読者会の舛田妙子さんから相談がありました。新潟に『世界』を音声で読みたいという全盲の読者(栗川治さんのこと)がいるのだが、『週刊金曜日』と同じようなしくみを『世界』でもできないだろうかという話でした。テープ版読者会では、原本が発行される一週間遅れくらいで音訳版が発行されていました。『世界』を全ページ音訳すると、だいたい25時間くらいの分量になります。それを十数名から20名くらいの音訳者で分担して製作し、『世界』は月刊なので、1か月遅れくらいで発行することを目指すことになりました。ただ、これだと一人の音訳者が毎月1時間ちょっとの音訳作業をしなければならず、けっこう大変です。藤田さんが代表を務める全国音訳ボランティアネットワークの力を借り、当時は6チームで順番に回していくことにしました。
その後、音源を編集します。
サピエにアップするには、サピエに登録している点字図書館(視覚障害者情報提供施設)が必要なため、東京ヘレン・ケラー協会の堀江さんに相談し、快く引き受けていただけることになったので、このしくみができあがったのです。
──松井さんは以前、ご自身の著書を「バリアフリー出版」した経験があるそうですね。
松井 私は盲導犬使用者なのですが、一頭目の盲導犬を病気で亡くした時にそれを何か形に残したいということで、ある出版者から2001年に『二人五脚 盲導犬クリナムと歩いた7年の記録』という本を出しました。さまざまな読者を想定して、点字版、音訳版、大活字版など五つの媒体で出版することにしました。その際、「バリアフリー出版」という言葉を使いました。
──『世界』の音訳版が、25時間になるというのはすごい分量ですね。
堀江 『世界』の音訳版でとくにこだわっているのは、広告も含めて全文音訳するということです。じつは、雑誌の音訳版はわりと作られているのですが、抜粋版がとても多いんです。全部まるまる読むという『世界』の音訳版の方針は、とても画期的なことです。とくに『世界』には、本の広告がけっこう入っているので、その広告を聴いて、読みたい本の音訳リクエストを出すといった効果が生まれています。
──雑誌の音訳版って、全国で何種類くらい製作されているんですか?
堀江 全視情協(全国視覚障害者情報提供施設協会)が運営しているサピエで扱っているものに限りますが、391タイトルあります。
そのうち、全文を読んでいるとうたっているのは、148タイトルあります。ただし、『世界』のボリュームとは異なり、1、2時間程度のものがかなり含まれています。ざっくり、20時間以上のものはどのくらいあるのかなと数えてみたら、10タイトルほどだけでした。
ちなみに、『文藝春秋』も20時間以上になります。
──サピエの利用ランキングでは、『週刊文春』や『週刊新潮』がいつも上位にきているそうですね。
堀江 これらの週刊誌も、クイズとか音訳が難しい部分をのぞいて、基本的に全文音訳されています。ただ、『世界』と比べるとページ数が半分以下なので、平均時間数はだいたい10時間くらいです。
──藤田さんが代表を務めている全国音訳ボランティアネットワークに参加している全国の音訳ボランティアグループでは、やはり雑誌より書籍の音訳がメインですよね。
藤田 あまり大きい声で言いたくはないんですけれど、音訳者は、急いで作らなければならないものに対する拒否反応というのはありますね。つまり、書籍の場合、基本的にいつまでに完成させなければならないという納期がないんです。また、定期刊行物の場合、始めた以上、やめるわけにいかないという責任が伴うので、なかなか参入しづらいという面があります。
──雑誌の音訳を分担して行う場合、雑誌をコピーしたりしているのですか?
藤田 『世界』は、岩波書店さんのご厚意で、音訳者に全部献本していただいています。これはとても大きいことです。
堀江 初期の頃は、まず私のところに2冊だけ送ってもらって、私がカッターで切って、記事を分担していました。
──サピエにアップされている音訳図書は、著作権法37条3項に基づき、出版者の許諾がなくても製作できるわけですが、その結果、出版者の人間が、音訳版の存在を知らないということにもなりますね。
大山 私は、『世界』の編集部に移って、四年くらいになります。『世界』が刊行されるとそれを真っ先にその音訳者さんたちに発送する仕事があることを知りましたが、その先どうなっているのかは、ほとんど知らないままでした。ある日、堀江さんが録音図書専用の再生機を持って来社され、その場で『世界』の音訳版を聞かせてくださいました。そこで、自分たちが作っている毎月の記事が、こういうふうに音訳されて届けられていることを初めて知りました。その時一番驚いたのが、巻頭のグラビアページに、どういう絵が書かれているのか、あるいは色合いなどについて、ていねいに説明されていることでした。
その時、同僚の二人で大変感激して、座談会を組むことになったんです。
座談会の後、気づいたことを編集部で共有したのですが、固有名詞や難しい読みについては、なるべくルビを振ろうということになりました。それから、日本語は同音異義語が多いので、どの言葉を使えば耳で聞いてわかりやすいか、私自身も声に出して読んでみたりしました。そうした作業は、記事そのものの読みやすさやアクセシビリティ向上にもつながるのではないかと思いました。
──点訳や音訳する作業は一言一句チェックしているので、元の編集作業で見逃されていた誤植が見つかるという話もありますね。
藤田 私たち音訳者はある程度訓練されていますので、マイクの前に座って声に出して読むということについては、比較的苦ではないのですが、それ以前の読み方を調べる「調査」にとても時間がとられます。ルビをつけていただいたり、出版者の立場からなんらかのご協力をいただけるのであれば、たいへんありがたいと思います。
松井 専門的な本の場合、図や表をどのように読むかという原稿づくりに、けっこう時間がとられるんです。音訳者だけでなく、図書館スタッフにもチェックを依頼される場合があります。それが理由で、新刊本の音訳が完成までに半年とか時間がかかってしまっているんです。私たちはそれを「冷めたスープ」と呼ぶことがあります(笑)。
堀江 視覚障害者は、最近AIを使って読み上げソフトで聞くことが増えています。一部に「もう音訳者はいらないんじゃないか」という声も聞かれますが、たぶん残るのは、図表とか写真の説明とか。「音訳者」という言葉でもなくなってしまうかもしれません。「説明文製作者」とか「視覚的説明文製作者」とか(笑)。それを今のボランティアの方々にどこまで担っていただけるのか。声に出すことは好きだけど、説明文を作るのはしんどいと、やめてしまう方もいらっしゃいます。もともと文字にするのが難しいから図表にしているわけで、それを文章化する作業というのは、私もよくやっていますが、すごく苦しいです。最近、オーディオブックが出版されるケースが増えてきましたが、オーディオブックでは、写真の説明まではしてくれないですよね。
松井 私たちがオーディオブックで、株式だとかビジネス関係の本を読んだとして、「図なんとか参照」としか表現されないので、その具体的な中身がわからないことがよくあり、悲しい気持ちになります。AIでは、写真を説明する機能も最近少しずつ出てきて、「これは富士山の写真です」とか「二人の人が並んでいます」とか説明してくれるようになりましたが、図表やグラフについては、まだまだ難しいですね。
──上田さん、オーディオブックを作られている立場から、このへんはいかがですか?
上田 図の処理って、かなり難しくて、音訳者のみなさんに、僕は頭が下がる思いです。
やっぱり図を読み上げるということや説明を作るということは、難易度が高いですよね。
2004年にオーディオブックの事業を始めるにあたり、日本におけるオーディオブックのフォーマットを作ることになりましたが、その時に「図をどうする」という議論になりました。
当時のアメリカでは図があろうがなかろうが、文字の部分だけ読み上げ、文中に「図参照」という言葉があったとしても、図のPDFデータ等はいっさい入っていなかったんです。日本ではその手法ではだめだなと思いました。
そこで、図に関しては、アプリに表示できるようにしようと、日本ならではのフォーマットに作り直したという経緯があります。
どうしても図が必要な作品はPDFデータを表示し、それ以外のものも、図がなくてもわかるように、簡単な説明をつけたりといった工夫を、もちろん、著者や出版社に確認をとったうえでやっています。
松井 オーディオブックでは、著者略歴とか、奥付とかを読んでいないんですよ。電子書籍にはふつう入っているので、上田さんにぜひお願いしたいと思っています。
──オーディオブックでは、定期刊行物は扱っているんですか?
上田 あります。日経新聞のダイジェスト版の「聴く日経」とかは毎日配信されたり、東洋経済オンラインの「聴く東洋経済オンライン」とか。でも「聴く日経」はダイジェストですし、「聴く東洋経済オンライン」は東洋経済の記者が元の記事にまつわる裏話や、ニュースの解説といった内容になっているので、雑誌丸ごととか、サイト丸ごとオーディオブックにしているわけではありません。なぜ作っていないのかというと、更新の手間や声優・ナレーターのリソースが現状では足りていないという問題があるからです。たとえば、TTSがうまく機能するようになれば、まるごとバージョンが作られていく可能性はあると思います。
松井 日経電子版の「AIアナが読むニュース」では、すでに合成音声を使っていますね。私は毎日読んでいます。
──オトバンクのコンテンツでは、合成音声は活用されていますか?
上田 まだ「AIナレーターが読む 日経電子版 きょうの速報ニュース」といった一部に限られています。じつは合成音声に関しては、サーバー側の通信速度と、計算スピードの問題があって、今の合成音声はパソコン側で全部読み上げてしまっているので、まだ無料サービスとしてやっていけないレベルなんです。また、オトバンクでは、長時間でも心地よく聴ける合成音声を目指しているので開発にも時間がかかっています。ただ、かなり高いレベルまで開発が進んできているので、近い将来、本格的に実用化できればと思っています。
堀江 現在は、利用者が持っている合成音声ソフトの幅があり、能力もずいぶん異なりますが、それがクラウド型のサービスになるということで、利用者側の環境による格差が解消されるということですね。
松井 私の場合は、最近、スマートスピーカーを活用していて、スマートフォンを操作しなくても、自分の声だけで操作ができるので、ひじょうに便利になってきたなと日々実感しています。
──『世界』の音訳スタッフは、どのくらいの世代の人が多いですか?
堀江 60代から70代の方が中心です。『世界』専門のスタッフということではありませんが、ちょうど今、新年度の音訳ボランティア養成講習会の募集をかけています。募集要項では、22歳から65歳ということにしています。ほんとうは年齢制限をつけないほうがいいのでしょうけど、年齢の上限を設けているのは、最低でも5年は続けてほしいということがあるからです。うちでは、1回2時間で20回、半年間の養成講習を開催していますが、それを修了して、やっとスタート地点。すぐに『世界』が読めるわけではないので、何年かかけてステップアップしていくことになります。年齢というよりも、個人差がとても大きいと思っています。
図書館の立場では、「最低5年」とアナウンスしていますが、私個人としては、「最低でも10年は続けてほしい」というのが本音です。
せっかく養成し、養成を受けていただいているので、むだにならないようにという気持ちからです。
──音訳されている図書や雑誌の種類がまだ限られているのが現状だと思いますが、そのへんについてはどう思われますか?
堀江 ある視覚障害の人が官能小説の音訳版が製作された時に、「これでわれわれの読書の自由が保障された!」というコメントを出して、もう一人の視覚障害のある図書館関係者の人が烈火のごとく怒ったというエピソードがあります。ほとんど専門書が十分に音訳化されていないのにもかかわらず、そんなことは決して言えないとおっしゃっていました。サピエなどの普及で、いわゆる文系の小説やエッセイ類は、かなりさまざまな本が読めるようになってきたかもしれませんが、その人が本当に必要としている本、あるいは視覚に障害がなければ出会っていたかもしれない本と出会えないという問題が、根深く存在していると思います。
──このような座談会で話し合っていると、課題山積の部分もありますが、一方で技術革新も進んできていて、点訳する際は、漢字かな交じりのテキストデータがあれば、自動点訳ソフトが開発されていますし、音訳にもTTSが使われるようになってきています。
もちろん、点訳ソフトにしても、合成音声にしても、誤植や誤読が発生しますので、人間による校正の手間はまだ必要な現状ですが、そのへんを合理的に組み合わせていくことも考えられますね。
松井 『世界』の音訳版でも、すべて肉声ではなく、一部に合成音声で読み上げをさせて、録音する手法を使ってもいいかもしれません。
大山 そうですね。公共性の観点から、出版者からデータを提供するという方向はあるんじゃないかなと思いますが。
松井 たとえば、広告の部分とか。
大山 広告は画像データになってしまっているので、データ化しづらい面があります。もちろん、元のデータにさかのぼればできるとは思います。
──松井さんは、公共図書館で「障害者サービス」を担当されていますが、これまでどうしても音訳版の利用者は視覚障害者に限られてきた歴史があると思います。2019年の読書バリアフリー法制定以降、なにか変化はありますか?
松井 自分が「読書障害」だという認識をもっている人はまだまだ少ない、というのが大きな課題です。私が勤める図書館でも、視覚障害以外の人でもサービス登録ができるように要綱を変えていますが、ご自分が「読書障害」だという認識をしていない人がたくさんいます。学習障害もそうですし、高齢者の人でも一定の条件のもとで提供できるんですけど、ただの老眼で「読みづらい」というだけでは提供できないということもあり、その「線引き」を理解していただくのが難しいですね。どうやって、適正な利用を広げていくかということに取り組んでいます。
あとは、スマートスピーカーなどを利用すれば、スマートフォンの操作が苦手な人でも、楽に音声版を再生できるようになります。そうした機器の使い方をサポートする人の養成なども検討しているところです。
堀江 うちの点字図書館ではサピエの登録を受け付けていますが、やはり視覚障害者以外の登録は少ないのが現状です。
学習障害の人から問い合わせを受けることがありますが、学習障害と一言でいっても、一人ひとりニーズが異なるので、点字図書館の立場ではなかなか難しい側面もあります。
上田 私どもが提供しているオーディオブックは、いわゆる境界線上にいる方もカバーできます。たとえば、老眼とか、ディスレクシアの診断までは受けていない「ディスレクシア傾向の人」もいらっしゃるんですよ。読めるんだけど、読むのが極端に遅い人。かつて活字の媒体しかなかった時代は、仕方なく活字を読んでいたけれど、媒体が多様化してきた現代では、活字以外で情報を得たいという人が、一定数いらっしゃると思います。読書バリアフリーの会議などに出席すると、どうしても、視覚障害の立場の議論で埋め尽くされる傾向があるので、私の立場からは、いつもこの境界線上の人の例を出して、オーディオブックがそういった方々をもカバーできますという話をするようにしています。
藤田 『世界』の音訳版のようなプロジェクトを、完全に音訳者というボランティアだけで担っているというのは、大きな問題です。私たちは目の見えない人の情報保障しているわけですよね。それをボランティアに丸投げしているということについては、つねづね疑問に思ってきました。せっかく2019年に読書バリアフリー法が制定されたので、現状のボランティア依存モデルをどう脱却していけるのかということについて、行政が責任をもって各方面に働きかけることで、打開策を見つけていただきたいと考えています。
松井 これまでは出版者がまったく関わらず、図書館とボランティアだけが音訳を担ってきた歴史が長かったのですが、これからは同じ方向を向いて、さまざまな読者のために、お互い何ができるのかを一緒に考えていく必要があるのでしょうね。
とくに、手間を少しでも省いて、タイムラグを少しでも短くしていく努力が求められると思います。
出版者には、電子書籍の同時出版もぜひお願いしたいと考えています。
大山 たまたまある著者のトークイベントに参加した時、視覚障害のある読者の方が参加しておられ、話が盛り上がり一緒に食事をして帰ることになりました。本も購入され著者のサインもしっかりゲットしておられたので、どのように読書しているんですかと伺ったら、図書館の対面朗読で読書を楽しんでおられるとのこと、そして何より、同じ本について語らうことが障害の有無に関係なく本当に楽しいんです。そうした本を通じた出会いが広がっていくといいなと思いました。
「ABSCレポート 2023年8月号」収録)